国指定史跡 忍路環状列石


小樽市忍路2丁目118の3
種吉沢に面した三笠山の北側麓、標高20mの河岸段丘上




忍路環状列石の造られた時期と発見
忍路環状列石の造られた時期は今から約3,500年前の縄文時代の後期です。文久元(1861)年、小高い山の麓に大きな石をいくつも円形に建て並べた遺構(ストーンサークル)が発見されました。大きさは現在の指定の面積で821平方メートル、直径は南北約33m・東西約22mの楕円形でサークルは2〜3mの幅に高さ10〜20cmの小石を環状に重ね置き、その内側に高さ100〜200cmの大石を配置されいます。明治19年の報告(渡瀬1886)には、小高い山は「三笠山」と呼ばれており、その為古くは三笠山環状石籬(現在は忍路環状列石)と呼ばれていました。近代になり、一部手を加えられ、造られた当時とは異なった所があります。


忍路環状列石の調査
明治10年代に札幌農学校の第一期生である田内捨六氏によって内部の33平方メートルばかりが発掘されました。黒土層の3センチ下の赤土を約1メートル掘ったところ、一カ所に直径3〜13センチぐらいの浜石が層をなしているのをみつけました。渡瀬荘三郎(庄三郎)氏がそれを明治19(1886)年に「人類学会報告」(第1巻1号)に報告して以来、有名になる。その後、列石の石は家屋の土台石や庭石として運び出され大正11(1922)年、皇太子行啓にそなえて修復されたりしている為、現状が必ずしも往時のものをはいいがたいですが、縄文時代の石造記念物としては第一級の趣があります。列石に使用されている石がどこから運ばれたのか、正確なところはまだわ かっていませんが、余市湾を隔てたシリパ岬からの石も含まれているという説があります。昭和36(1961)年3月、国指定史跡となりました。

資料提供 小樽市教育委員会

「ストーンサークル」に関するメールでのお問い合わせは
石川学芸員
社会教育課文化財係(0134-32-4111内線532)
担当:青木学芸員までお願いします。



小樽の史跡・文化財ページへ