北海道指定有形文化財 小樽らかんの寺


曹洞宗 月浦山 宗圓寺
小樽市潮見台1丁目19番10号 電話(0134)22-7772
午前9時〜午後5時迄(12月〜3月迄は冬季休み)




釈迦と五百人の弟子たち
遥かなる時を越えて
語りかける顔・顔・顔
喜・怒・哀・楽
さまざまな表情で
彼らは何を想い
何を語っているのか


丈六釈迦如来坐像
津軽今別の本覚寺より羅漢像と前後する頃の移座と思われる。像高300.5m、90cm程の桜の中心材を基に構成されている。寺伝に言う貞伝上人の頃をやや遡る時期、室町〜江戸初期の大作と考えられ、当寺に置いて最古のものである。

曹洞宗 月浦山 宗圓寺
当寺は寛永7年(1630年)徳川家光の時代に、松前藩主7代公廣が、先代盛廣の追善供養のため福山(現在の松前)に建立したものである。羅漢像は、文政8年(1825年)に14代章廣が供養のため、南部藩主に依頼し、盛岡から勧請し福山の宗圓寺に安置した。その後、明治42年(1909年)に同寺は松前出身の小樽在住者により、仏像ごと現在地に移転され今に至っている。調査によると「全像について言えることは、他のこの種に多く見られる中国風の表現がなく、いかにも日本的表現に一貫されていることは珍しく、このことによって五百羅漢の信仰を物語る作例として貴重なものである」又、木像の古い羅漢像が500体全部揃っていること事態、全国的にも例が無く、大変価値のあるものである」と報告されている。


昭和・平成の大修理勧進
羅漢さまば幾度もの存忙のた危機を乗り越えて400年を経た平成の私たちに何かを語りかけています。宗圓寺は昭和60年より数十戸の檀徒と参詣の皆様の浄財を基金として羅漢さまの参復を進めております。 五百数十体の羅漢さまが郷土の文化財として永久に保存されますように皆様のご協カをお願い申し上げます。


五百羅漢ロマン ---- 308体彫った津軽説
その昔、津軽の今別という集落に徳が高いと評判の僧・貞伝がいた。 年若くしながら村人の尊敬を一身に集めており、村人は老若男女を問わず「貞伝さま」と慕っていた。ある年の初め、貞伝は村人たちにこう伝えた。「今年、雪どけのころ、松前から大仏と五百羅漢を作つてほしいと言ってくる。雪のあるうちナラの木をソリで山出ししておいた方かよいぞ」これを聞いた村人たちは「貞伝さまのごとだ。間違いあるまい」と早速、山へ入り、ナラの大木を切り、ソリで運び出しにかかった。ところが木の重みのためか、ソリか途中で止まって動かない。困り果てた村人が貞伝に告げると、貞伝はすぐその場へ出向き、お経を唱えること、二度、三度。するとピクともしなかったソリはいとも簡単にすべり始め、村人たちは貞伝の徳の高さに改めて感じ入った。やかて雪が消え、春になるころ、貞伝の予言通り、松前から大仏と五百羅漢を一という注文が届く。村人たちは予言の的中にまた驚き、像を彫る貞伝を一心に見守った。出来上がっていく羅漢の表情は、貞伝の徳の高さに合わせるかのように見事で、村人か目を凝らせば既に他界した肉親の表情そっくりに見えてくる。村人たちは一体ずつ完成していく「羅漢さま」へ熱心におまいりを続けた。だか三百八体が完成したところでナラの木が尽き、貞伝も間もなくこの世を去ってしまつた。真実はどうか。むろん今となっては確かめるすべもないが、「徳の高かった貞伝」という通り、「羅漢さま」の表情は今も生き生きとしている。



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