小樽と

石原裕次郎と海陽亭


小樽と裕次郎と海陽亭と稲穂小学校

小樽稲穂小学校の改築工事が進んでいます。石原裕次郎が小学校時代の数年、ここ稲穂小学校に通い、小樽で生活していたということは、裕次郎記念館が出来る前から知らさせていました。(慎太郎もそうですね)その後、裕次郎は太陽にほえろのボスの役でテレビに登場しました。そして、その昔、日本映画界のスーパースターだということを知った時は、改めて親近感を感じることが出来ました。前にすすきののお店紹介で、そこのマスターは”裕次郎の後輩です。”を売り文句にしていましたが、あれ?自分もそうだし、小樽にはたくさんいるなと思い、改めて意識してしまいました。しかし、正直に言って裕次郎記念館へは入場したことはありません。昔、ファンだった母さえも行きたい気持ちはあるけどまだ行ってないようです。 小樽の建物の中で、海陽亭が、ただ単に好きでした。裕次郎も好んでこの料亭を利用していたそうです。今は料亭として機能しているとは見えませんが、この場所とこの名前と歴史は小樽で一番小樽っぽい場所だと思っています。(なにも有りませんが)


裕次郎記念館

小樽市築港5-10
0134-34-1188
AM9:00~PM7:00
入館料 1500円

海をこよなく愛した昭和のスーパースター、石原裕次郎の世界。ラウンジ、ショップのみの利用も可能なことは地元でもあまり知られていない。ティーラウンジ「ハレコンテッサ」はイタリア語で「やんちゃな伯爵夫人」と言う意味です。


海 陽 亭

小樽市住吉4-7

明治29年以降に建てられたと思われる。 明治39年、日露国境画定会議後の祝宴を2階大広間で催している。 小樽の最盛期、伊藤博文を始め国の政財界人が好んで宿泊した。それは、女将宮末コウの折り目正しいもてなしの心、御不浄にまで香を焚く行き届いた配慮が、小樽港の眺望の素晴らしさ、内部調度のしつらえをあいまって、道内きっての料亭としての名声を博しました。

 


稲穂小学校のニセアカシア

 

裕次郎が芸能界入りした後も好んで利用した料亭「海陽亭」との出会いは稲穂小学校時代に遡ります。当時、山下汽船の小樽支店長で宴会好きで「ドンチャン」と呼ばれていた父、潔氏を迎えに来ていた2人の息子達が慎太郎氏と裕次郎でした。父が帰るまでの待ち時間が海陽亭の女将との出会いでした。小樽支店長に就任し地獄坂の途中の富岡1丁目に居を構えた一家でしたが、裕次郎は藤幼稚園に行ったか行かないかのうちに稲穂小学校に入学したようです。今のこのニセアカシアは当時は校庭内にあったと記憶します。校舎の改築工事に伴い歩道上に移動させたと思います。裕次郎が登って遊んだと言われるニセアカシアは記念樹としてここにあります。

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